週明けはもう月末…月末月初のルーティン準備を終えた金曜日のお話。
「よし、これで心置きなく週末を過ごせるぞっ!」と帰り支度をしていたところ、ネットのともだちから「こないだ話したVR型仮想世界、案内できるよ~!」と連絡をもらいました。
そのともだちは、ある仮想世界での友人なのですが、それとはまた別の、VR型仮想世界も遊んでいるそうで、そのお話を最近ちょこちょこ聞いていたんですよね。
私がそのVR型仮想世界にログインしたのは7年前。
当時は「これはVRゴーグルあってこそ楽しい世界なんだろな…」と感じ、そのままログインしなくなったのです。
ただ彼女がそこで遊んでると聞いて、「最近はどんな感じ?」と、あれこれ尋ねてた流れでお誘いをくれた様です。
良い機会だと思い、大急ぎでSteamとそのVR型仮想世界のクライアントをインストールしてログイン準備!
お誘いに乗って、その世界を案内してもらうことにしたのでした。
7年振りにログインして感じた変化としては、まず行き先 (ワールド) への導線が整理されて遊びやすくなったな~ということ。
行き先がカテゴリに分類整理され、どこに行こうか選びやすくなった、行き先に迷いづらくなったと感じました。
また、当時は公式で用意されたコミュニケーション手段はVCだけだったのですが、今はテキストチャットも導入されており、コミュニケーションの敷居が下がったな~というのも印象的でしたね…。
おかげで、事務所からのログインでもコミュニケーションに困ることはありませんでした。(流石に職場でVCはね…!ログイン自体どうなのってゆーのもあるけど…!)
そんなわけで、フルトラVR・VC完全装備のともだちの横で、ぼったちデスクトップ・テキチャオンラインをしてきたZE…。
実は、今回初めて「フルトラッキング」のアバターを使う方と遊んだんですけれど、想像以上に実在感がある、「そこにいる…!」って感じがしてめっちゃおもろでしたっ…!
ともだちは現実世界では椅子に座ったまま (画面内のアバターもずっと座った姿勢のまま)、身体表現として全身を使った動きがあったわけではなく、頭や首の動き、操作の為の手の動きなんかが目に見える動作の主たる部分でした。
けれど、それだけでももう全然…!
モーショントラッキングのぶれ (完全に静止しない感じ) も、逆にアナログな部分を感じさせ、"人がいる安心感" みたいなものを感じましたね。
7年前のログイン時に「これはVRゴーグルあってこそなんやろな…」と思ったってお話を先程書きましたが、デスクトップモードのモニタ越しでも "一緒にいる" という感覚がわいて興味深かったです。
…これ、双方フルトラッキングでVRな状態だと、同じ空間に一緒にいるって感覚めっっちゃ強く感じるんだろな…。
"VR睡眠" だったり "お砂糖/お塩" だったりの文化が生まれるのわかる、納得…。
もし当時フルトラアバターの方と関わっていたら、また受ける印象が違ったのかなぁ~…?
何にしろ、ともだちの動きを見ているだけで楽しくて、2時間くらい無駄に帰宅が遅れたアテクシなのでした…いや無駄じゃない、無駄じゃないよ良い体験だったよ…!!!!
新鮮で興味深い体験だったと同時に、案内してもらった時のお話の中にあった2点に関して、ちょっと考えてしまったりもしました。
それは "VC勢とチャット勢との壁"、"フルトラ民 (VR民) が必ずしもデスクトップ勢を快く思っているわけではない" ということ。
確かに「まぁそれはそーなるかな~」と思うんですよね…この実在感の中に、(デスクトップモードの) ぼったちアバターやテキストチャットが混ざるとゆうのは、それはそれで違和感からくる距離感、"やりづらさ" が生まれそうだしね…。
そんなことをぼんやり考えていたら、"オンライン上での距離感" のお話として、ふとTwitterとUstreamのことを思い出したりしました。
私がTwitterを始めたのは2009年で、Ustreamはその翌年2010年にちょっと流行ったんですよね。
Twitterに触れた当初、なんてゆうか「距離感が丁度良い…!」と感じたんですよね。
私が初めてオンラインで体験した他者とのコミュニケーションは「CGIチャット」だったんですが、それと違って部屋に束縛される感じではなく、その次に触れた各種メッセンジャーみたいに1対1でもない、開かれた感じ。
ソーシャル日記サービスとして出てきた『Mixi』の様な長文ではなく短文ベースの気楽さがあって、そして投稿がリアルタイムに流れることから感じる他者の存在感…空間ではなく時間を共有する、そんな感じ。
そんなTwitterに触れた翌年の2010年に、特別な機材がなくても個人で気軽にインターネット配信を行えるUstreamが流行りました。
私は当時お絵描き勢だったので、Twitter経由でお絵描き配信をよく観に行ったのですが、それ以外にも様々な作業配信をする人もいて、相互に配信しながら自分のやりたいことをやってる人達の姿が散見されました。
中には "生活だだもれ配信" をする人なんかもいたり、常に人の存在を感じるメディアだな~って思ったりしたんですよね。
私自身もお絵描き配信をしてみて、ぽつぽつもらうコメントのやりとりを通じて、"何処かの誰かと時間を共有して何かをしている"、そういう感覚を味わい楽しんでいました。
この2つの遊びをしている時に、「私は生きていく上で、これで十分だな~」って思ったりしたんですよね。
どちらも、人との繋がりを強く求める訳ではないけれど、でも閉じたところにいるわけじゃなくて。
ただ、世界のどこかに "いる" という感覚、特別何か起こるわけでもなく、それぞれがそれぞれとして過ごしている時間を公開している感じ。
時として、個々の点同士が近づくことがあるかもしれないけれど、近づかないかもしれなくて、でも閉じて過ごしているわけではないから、様々な可能性も閉ざされているわけじゃないんですよね。
何かを切望しているのでも、諦めているのでもない、そんな感覚。
当時、そんな抽象的な、漠然とした感覚がすごく心地良く感じたのでした。
その後の、私の感じる "オンライン上の距離感" の変遷として、変化のきっかけとして東日本大震災があった様に思います。
旧来の通信インフラが使えなくなった時の代替手段としてインターネットの有用性が呼びかけられ、またスマートフォン普及のタイミングもあって、Twitter等にも人が増え始め、また様々なSNSも生まれました。
その結果、"SNS疲れ" と呼ばれるような新たなしがらみも生まれ、次第に皆公開された、パブリックな場からスモールコミュニティへと分散していった様に感じました。
そして現Xの様なパブリックな場所は、公に向けた強い主張が目立つようになり、配信なども含め、総じて "コンテンツ" として消費される側面が強くなった様に思いました。
以前私が感じていた、個と個のゆるい繋がりの感覚は、だいぶ失われてしまった様に感じるんですよね。
まぁ、だからどうというわけでもないんですけれど。
今回のVR型仮想世界の体験から、何となくそんな "オンライン上での関わりと、その距離感" に関して、自己の変遷を振り返りながら思いを馳せてしまったとゆうお話でした。
こうやって思い返してみると私は、言葉を当てはめるならば "開かれた孤独" を求めているのかもしれませんね。
TwitterやUstreamを楽しんでいたあの頃掴みかけたその感覚は、あまりしっかりした形を取ってはいなくて、それがどんなものなのか、今も明確な形にはなっていません。
そしてIT関係の技術が発展するに従って、新しい "関わりと距離の形" も生まれている…今回体験したVR型仮想世界もそうですしね。
その時間の流れの中で、今後自分がどんな体験をして、どんなことを思うのか。それがすごく楽しみだなぁ、とぼんやり思うのでした。
